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元サッカー日本代表監督でJリーグ浦和初代監督の森孝慈氏が17日午前9時21分、腎盂(じんう)がんのため東京・目黒区の病院で死去した。
67歳だった。
早大、三菱重工でMFとして活躍し、68年メキシコ五輪銅メダル獲得に貢献。
監督として日本代表を86年W杯メキシコ大会アジア最終予選まで導いた。
Jリーグ浦和の創設に尽力し、初代監督を務めるなど「レッズの父」としても知られる。

Jリーグ発足時には三菱自動車サッカー部の総監督として奮闘。
プロ化に消極的だった会社側を説得し、ホームタウンとして浦和に受け入れを要請した。
三田の同部の部室から毎日浦和に通い、移転が決まるとすぐに引っ越した。
「森さんが自分で動き、周囲を説得してくれた。もし森さんがいなければ、今のレッズはなかった」。
当時同部のマネジャーだった佐藤仁司氏は思い出を口にした。


 ◆森孝慈(もり・たかじ)氏
1943年(昭18)11月24日、広島・福山市生まれ。
修道高3年時に国体、選手権2冠、早大では1年から活躍し、天皇杯で2度優勝した。
67年に三菱重工入りし、日本リーグ1回、天皇杯2回優勝。
64年東京五輪代表に選出され、68年メキシコ五輪銅メダルに貢献するなど日本代表で国際Aマッチ56試合2得点。
78年の引退後、西ドイツ留学を経て80年に日本代表コーチ就任、81年から同監督を務めた。
85年10月にはW杯メキシコ大会アジア最終予選に進出。
加藤久、木村和司ら「森ファミリー」を率いて、W杯にあと1歩まで近づいた。
その後は三菱重工総監督としてプロ化、Jリーグ参入に尽力し、浦和初代監督に就任。
横浜MのGM、福岡の監督、GMを経て02年に浦和にGMとして復帰。
オフト監督を招き、積極的な補強で強豪クラブへの下地を築いた。


森さん、本当にお疲れさまでした。
これからは、天国から浦和を見守っていて下さい。
森さんとの思い出と言えば、Jのお荷物クラブだった頃を思い出すけど
それでも、森さんが一生懸命築いてくれた礎は、今、脈々と受け継がれています。
一つ言えるのは、あなたがいなければ、浦和にプロチームは来なかった。
そう、浦和レッズは誕生しなかったのです。

しかし、森さんがクラブを去った2006年以降、何だかチームに勢いが無くなった感じがします。
森さんも憂いていたように、今の浦和は、フロントが一貫したチーム作りに着手できていない。
一番、力を貸して欲しかった人に先立たれるのは辛いけど、裏を返せば、浦和も独り立ちしなければならない。
この苦境を乗り越えて、一段と強くなった浦和を見て欲しい…
そんな想いで一杯です。

森さん、安らかに…




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